Kaz Lab について
研究部門 | 哲学科 | 構造主義的類似性の哲学 |
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素粒子物理学科 | 構造的類似性の哲学を通して見た新たな物質の世界 | |
分析心理学科 | C.G.Jungの思想のより深い理解と構造主義的類似性の哲学を通して見た新たな精神の世界 | |
教育部門 | 教育学科 | 特別なノウハウによる新しい教育 |
学習指導部 | 特別なノウハウによる学習指導 |
構造主義的類似性の哲学を基本思想とした研究所
Kaz Labは、構造主義的類似性の哲学を用いて、記憶を中心としたものの考え方を改め、創造性豊かで独創的な考え方をたくさん生み出すことのできる基盤を作っていくと共に、還元主義をホーリズムへと発展させていこうとするものです。
私たちが住んでいるこの世界には、複雑多様なものが存在しています。しかし、これら一見複雑多様に見える事象も詳しく調べてみると、それらの多くが基本的な事柄と基本的な原理や法則から成り立っていることがわかります。この調べるのに用いている考え方・手法は科学と呼ばれているものです。確かにこれら科学によって、私たち人間の社会は進歩し便利で住みやすくなってきました。しかし、いまだに、人文科学系、社会科学系、生物科学系の世界においては、現代物理学の考え方を中心とした還元主義的な考え方・手法では解明されないことがたくさん残っています。物理学が提示する世界像では、生物の世界や人間の精神心理の世界は説明できていません。物理学を中心とした現代科学の一面的ではありますが、めざましい進歩に影響され、人文科学、社会科学、生物科学も数理的な手法を用いて学問を推し進めていこうとする傾向が強いのも事実です。しかし、これら生物科学の分野でも精神心理の分野でも、これらの分野の科学者たちは還元主義の限界を指摘しながらも、基本的な考え方を還元主義的な考え方そして論理学によっているのが現状です。
(1)「知識」として扱われる「考え方」
科学の分野でも社会の分野においても、創造性や独創性がそれぞれの分野の新しい局面を切り開いていく原動力になっています。この創造性や独創性は、「考える」ことから生まれてくるものです。しかし、創造性的で独創的な考え方はめったに生まれてこないのが実情です。一般には、「既存の考え方」にとらわれて自由な発想ができないということがよく言われます。
既存の考え方を分析してみると、その成り立ちは、別の「既存の考え方」の幾つかが組み合わさって導き出されている場合がほとんどです。このような「考え方」を構造主義的類似性の哲学では、「モジュール化された考え方」と呼びます。「既存の考え方」は、「基礎的な考え方」を積み上げて導き出されたものではありません。普通一般に「考える」という行為は、「考える」のではなく、知識として固定化された考え方をその考えの対象となる事象にただ当てはめているだけなのです。
構造主義的類似性の哲学では、事象を一から「基礎的な考え方」を組み合わせて考えていきます。構造主義的類似性の哲学では、「基礎的な考え方」を用いて考えを進めていくことから、事象を基礎的なところから見つめ直すことにもなります。
- モジュール化された考え方
- モジュール化された考え方の弊害
- 考え方のモジュール化を超えて
- 学習指導に適用した場合、飛躍的成果が
(2)Kaz 研究所 所長 自己紹介
学歴、学問関係、語学関係、いじめ、嫌がらせ問題等関係など
(1)「知識」として扱われる「考え方」
1. モジュール化された考え方
科学の分野でも社会の分野でも、あることが常識あるいはある説が正しいこととされると、それらの対象にされる事象は、その成り立ちや詳しい状況などはほとんど顧みられずに適応されることになります。対象とすることに疑問や疑いがあったとしても考慮されなく、ほとんどの場合無視されるのが普通です。
例えば、物理学の世界でも、ある考え方が主流を占めると、それに反する考え方がその古い考え方に取って代わるには大変な時間と労力がかかっています。多くの物理学者は、主流となっているある考え方に反する考え方を唱えると、詳しく検討もせず主流となっている考え方に反する考え方を否定します。主流となっている考え方を構成している考え方は詳しく検討されず、主流となっている考え方では矛盾が生じることは無視をされ、適応範囲なども十分吟味されません。主流となっている考え方では、その考え方が生み出された過程で使われた考え方を用いた議論の詳細は忘れ去られ、その考え方が生み出された過程で使われた考え方の大枠だけが残り、その結論だけを持って極めて広い適用範囲で主張されるのです。
ある時期、科学の分野で、ある常識やある説が正しいとされ広まると、当初はその常識や正しいとされる説に関する対象は目覚ましい進歩を遂げますが、しばらくすると長い停滞期が続くようになります。これはよく言われるように、既存の考え方に囚われて、新しい発想ができなくなるからです。この既存の考え方と言うのは、ここでは、ある時期に広まった常識や正しいとされる説のことを指します。ある時期に広まった常識や正しいとされる説は、ある時期に広まった常識や正しいとされるある説を構成している他の正しいと思われている考え方が組み合わさって導き出された考え方なのです。すなわち、「モジュール化された考え方」は、他の「モジュール化された考え方」が組み合わさって導き出された考え方なのです。「モジュール化された考え方」は、「基礎的な考え方」を積み上げて導き出された考え方ではないのです。ですから、「基礎的な考え方」を積み上げて厳密な議論の末に導き出された考え方ではありません。「モジュール化された考え方」が形成された過程では、「基本的な考え方」における「切断」などが行われており、また、「思考の中断」をしなければならないところを「即断」をしている場合も多く、「基礎的な考え方」をそのまま用いて組み立てられてはいないのです。ですから、このような常識や正しいとされる説を頭から信じ込むことは極めて危険なのです。創造的で独創的な活動を志す者にとっては、「モジュール化された考え方」は大敵なのです。
2. モジュール化された考え方の弊害
実際に、「モジュール化された考え方」はいろいろなところで問題を起こしています。
物理学の分野で、新しい研究をする場合、「物理学に心理学を応用してみたい。」と言っただけで、「そんな破天荒なことはできるはずはない。」と言下に否定をされたりします。この発言をした物理学者は、心理学と物理学との間には、心理学で統計学を使うことにしか共通性を見出せず、要素還元主義的な考え方もする分析心理学のことなど全く知らないようです。物理学が提唱する還元主義的なものの考え方では、同じ物質を対象とする生物科学の世界を解明できないのは事実です。ですから、物理学の世界の持つ常識はuniversalなものではなく、明らかに還元主義的な原理が支配しているのではない生物科学の世界で成り立つ考え方や、精神と物質といった二元論における、物質の世界と対極にある精神の世界の考え方を包括するFinal TheoryあるいはUniversal Theoryが求められているのです。したがって、物理学からFinal TheoryあるいはUniversal Theoryに到達するには、生物科学の世界や精神心理の世界においても成り立つ考え方をも包括しなければならないのです。しかし、還元主義的な考え方にとらわれている物理学者は、心理学のことを詳しくは知らないにもかかわらず、心理学に極めて強い拒否感を示すのです。ただし、私は現代の精神心理に関する学問を肯定するものではありません。
次は、精神心理の分野に関することです。それは、統合失調症によく見られる、妄想や幻聴のことです。ここで指摘するのは典型的な症例の場合ではなく、「人間関係」が絡んでくるときの精神医学のものの見方・考え方です。それは、対人トラブルによる対人関係に関することです。これは、いじめや嫌がらせの問題と密接な関係があります。統合失調症は、思春期に発病することが多いとされています。そのため、学校でいじめに遭っている場合の児童生徒は、学校教員や両親の理解がない場合、精神科を受診させられる場合が多いのです。そして、対人関係のゴタゴタを妄想、幻聴と診断され、統合失調症として薬を処方される場合がほとんどです。結果、薬の副作用で、意識がボーとして涎を垂れ流したままの状態になり正常な生活ができなくなって、一生を棒にふるケースも稀ではありません。嘘だと思うでしょうが、精神科医の多くが、(1)思春期、(2)対人トラブルが起きた、(3)人に何か言われた、とそれだけでろくに問診もしないで統合失調症と診断しているのが現状です。医学の場合、専門性が高いとして、外部から批判をしにくい環境にあります。学校でのいじめや嫌がらせの問題が社会問題化した後も、このような精神科医たちのデタラメな診断を追及する新聞記事はほとんど見当たりません。
精神医学に隣接する分野には臨床心理学があります。ほとんどの臨床心理士は無批判に精神医学、精神医学を不可侵の領域と心得ているようです。中には精神医学がおかしいと思っている臨床心理士もいるには居ます。私が知っている臨床心理士は、このような診断がされている現状を知っていても特別に精神科医や精神科学会に何か言うことはなく、「僕には何もできない。」と言っています。ほとんどの臨床心理士は、精神科にかかっていると告げると、もう何も話そうとせず、自分の扱うクライアントではない、と言う態度に出ます。ですから、このような診断を下された児童生徒には救いがないのです。
ここで問題になるのが精神医学における「考え方のモジュール化」です。統合失調症には、症状として、妄想や幻聴があります。そして、発病しやすい時期が思春期であることは統計から知られています。(1)思春期、(2)対人トラブルが起きた、(3)人に何か言われた、だけで統合失調症と診断することは、どんな理由があるにせよ、おかしなことです。私自身、精神医学自体におかしなところがあると考えていますが、多くの精神科医は、人間というもの、人間関係のことが全く分かっていないと断言できます。人と人との付き合いにおいて、いざこざは日常茶飯にあることです。まして、不登校の児童生徒が報告されているだけで10万人以上居ると言われているこのご時世において、学校におけるいじめや嫌がらせは当たり前にあると考えて良いことです。あるいじめの問題に関連した精神医学に対する批判記事に次のようなものがありました。「精神科医は、診察室に入ってきた人間は患者としてしか見ない。」と。これだけ馬鹿な「考え方のモジュール化」をしている事例は他に類を見ません。
最後に、学校教育、受験勉強について述べたいと思います。学校での勉強の大きな目的の一つは、入学試験問題が解けることです。入学試験では、基本的な事柄間の基本的な関係を使った応用問題が出題されます。この基本的な事柄間の基本的な関係を使った応用問題を解くのに、この問題にはこの問題の解き方、あの問題にはあの問題の解き方、というように、入学試験問題を解くときに役に立つような問題を解く解き方を、学校でも塾、予備校、あるいは、家庭教師でも教えています。学校では、基本的な事柄、基本的な事柄間の基本的な関係と基本的な事柄間の基本的な関係の簡単な応用を教えることで時間が一杯で、本格的な応用問題を解くことに多くの時間を割くことはできていないようです。多くの塾や予備校では、独自に選んだ入学試験問題を解くときに役に立つような基本的な事柄間の基本的な関係を使ういろいろなタイプの応用問題の解き方を教えているのがほとんどです。
ここまで来てお気付きの方もいらっしゃるかもしれません。そうです、「考え方」という概念が出てこないのです。基本的な事柄間の基本的な関係を用いた応用問題を解く時には、「考える力」が問われているはずです。しかし、ほとんどの学校、塾、予備校、あるいは、家庭教師でも、基本的には様々な問題の解き方を教えているにすぎません。児童生徒の側では、出題された問題に覚えた問題の解き方のいずれかを当てはめて、問題を解くようにしているのです。ここで、一つ一つの問題を解く解き方が、まさしく「モジュール化された考え方」にあたります。問題を考えるのではないのです。覚えた問題の解き方を出題された問題に当てはめて覚えている考え方に従って解くのです。ですから、入試問題で良い成績をとるには、より多くの問題の解き方を覚えておかなければならないのです。なぜなら、たくさんの色々な問題の解き方を知っていれば、入学試験に出題される問題を解くときに当てはめられる解き方を知っている確率が高くなるからです。したがって、偏差値の高い学校の入学試験に合格しようと思うならば、たくさんの問題の解き方を覚えておかなければ合格できないことになります。
普通の児童生徒にとっては学校で教えられている教科書に書かれている中で、基本的な事柄、基本的な事柄間の基本的な関係と基本的な事柄間の基本的な関係を使った簡単な応用問題の解き方を記憶するだけでも大変だと思います。事実、新聞によると、高等学校で習う教科書の内容を全て「理解している」生徒は全国の高等学校の全体の生徒の中で3割だと言われています。ここで、「理解している」の意味は不明ですが、少なくとも、高等学校で教えられている勉強内容を完全にこなすことのできている生徒は3割程度であることは明らかなようです。大半の児童生徒にとっては、学校での勉強内容を覚えるだけでも大変なのです。受験をするにあたっては、これら学校で教えられる教科書の内容に加えて、たくさんの問題の解き方も覚えなければならないのです。受験勉強は、まさしく記憶力の勝負となっているのです。
3. 考え方のモジュール化を超えて
このように日本には、「考え方のモジュール化」が蔓延しています。これは、「考え方」が知識として扱われ、「考え方」が硬直化して事象が自由に考えられなくなっているのです。多くの事象は他の事象と関係を持たず孤立しています。硬直化した「考え方」は他との関係を持たず、硬直した考え方同士が対立した場合、どちらかがどちらかを打ち負かすしことしか収拾の方法はありません。
構造主義的類似性の哲学は、事象を一から「基礎的な考え方」を積み上げて考えていきます。従って、物事をしたり事象を考えたりするときは、基礎的なところから見て考えることになります。そこでは、今までにない「私(わたくし)」を消去した客観性と絶対的な相対性の元に基礎的なところから、事象は見そして考えられていきます。そうすると、今まで別々の事象であると思われていた事象が共通性を持つことを発見でき、様々な事象同士が様々な有機的な関係を持っていることを見いだせます。矛盾を内包し本来ならば適用範囲も限定された既存の考え方に囚われることなく、誰でもわかり理解できるような基礎的な知識と考え方から始めることにより、以前よりも物事が上手くできるようになったり、今までできなかった物事でもできるようになる蓋然性は高まります。人間関係の複雑さや難しさなども、根本的に考えれば、「私(わたくし)」を消去した客観性と絶対的な相対性に基づく基礎的な見方、考え方が欠けていることから生じるものなのです。
学校や職場におけるいじめや嫌がらせも、いじめや嫌がらせをする側の主観的で絶対的なものの見方考え方に凝り固まった「モジュール化された考え方」によって形成された硬直化した考え方によるものなのです。いじめや嫌がらせにおいては、速やかにいじめや嫌がらせの事実を把握しなければなりません。しかし、人間関係や人間心理を知らないと言うよりも分からないと言った方が良い教員関係者が多く、なかなかいじめや嫌がらせを早期に認知することができていません。「私(わたくし)」を消去した客観性と絶対的な相対性に基づく基礎的な見方、考え方によれば、前提条件なくいじめや嫌がらせはどこにでもあるものだという考えがあり、少しのことからもいじめや嫌がらせを発見することができます。いじめや嫌がらせを発見したら、いじめや嫌がらせをする加害者側の硬直した物事の見方考え方を、上記の基礎的な見方、考え方を用いて面談によって分析指導しなければなりません。いじめや嫌がらせ問題において、加害者の処分、指導がほとんどされていないのが現状です。いじめや嫌がらせの問題は、加害者側を徹底的に分析することで解決策が見えてくるはずです。間違いなく、分析指導を受けた加害者は、大変な恥辱屈辱を感じるはずです。分析指導の結果、加害者の持つ硬直した「考え方」は崩壊し、被害者を受け入れざるを得なくなります。構造主義的類似性の哲学で言う、事象の「共通性」から、被害者を否定することは、自分自身を否定することになるからです。
学習指導の分野でも、構造主義的類似性の哲学はその有用性を示しています。従来の教育では勉強のできないとされている児童生徒の勉強を指導するするのに構造主義的類似性の哲学を適用すると、素直な児童生徒であれば、皆が皆、極めて良い成績を取っています。これは、日本の教育界の常識では考えられないことです。構造主義的類似性の哲学では、物事をすべて基礎的なところから考えていきます。「考える力」がある児童生徒を育てることは、創造性ある独創的な考え方のできる人材を生み出す基盤を作ることです。このことは、「記憶力」中心の世の中から「考え方」中心の世の中に変えていくことになります。
東京大学の卒業生の多くが国家公務員になっています。私の知り合いの東京大学以外の出身のある国家公務員は、「東京大学出身の職員と東京大学以外の出身の職員を比べて何が一番違うかというと、東京大学出身の職員はなんと言っても記憶力が良いということだ。」と言っていました。国を治める仕事をしている人は、やはり「記憶力」が良い人たちが中心となっているのです。
「考える力」がある児童生徒を育成しても、やはり、東京大学や京都大学、あるいは国公立の医学部に多くの生徒は進学することは間違いありません。従って、ゆくゆくは「考える力」のある人が社会の中枢を占めることになります。「考える力」がある人材が社会の中枢をになうようになった場合、遠くは、豊かな人間関係を持った創造性のある独創的なより良い社会を作っていくことにつながることになると思います。
構造主義的類似性の哲学は、東京大学の一部でも話題になっています。常識とは異なった新しいことをすると足を引っ張られるのはどこでもあることです。特に医学部の一部の学生たちは、偏差値日本一のプライドが高く、受験勉強とは異なる学問上の勉強においてさえ自分たちの考えが及ばないようなことをしたりすると、嫌がらせや妨害活動をしてきます。私も大学内で生物学実験の提出用スケッチを二度にわたって盗まれました。内一回はスケッチを提出後にわからないように盗まれたため、最悪の場合、成績の良い学生が多く進学する物理学科に進学できないことも考えられました。加えて、長年にわたり、自宅にも何回も侵入され、論文関係の書類、講義録、講義資料や講義の書き起こし、カセットテープ、レコード、手紙の下書き、コンピュータソフト、家系調査報告書など大切に保管していた書類などの多くのものが盗まれています。
ホームページは徐々に充実させていきたいと思います。Kaz 研究所では、構造主義的類似性の哲学を、構造主義的類似性の哲学の有用性を示すのに一番適した児童生徒の学習指導に適用することにしました。そして、その成果の大きさを知っていただこうと思います。そのため、他の科に先だって、教育部門に関係するページを開設します。研究部門では、哲学科を開設します。素粒子物理学科と分析心理学科は作成中です。
4. 学習指導に適用した場合、飛躍的成果が
Kaz Labは、構造主義的類似性の哲学を普及させる実践活動の一環として、構造主義的類似性の哲学を学習指導に適用して、児童生徒の勉強を見ております。この学習指導は、構造主義的類似性の哲学の元となった考え方、特別なノウハウによるものです。この特別なノウハウによる学習指導によって、素直であれば、どんなに勉強ができなかった児童生徒でも、皆学年一番を取っています。これは日本の教育界の常識を覆すだけでなく、統計上の成績向上の限界を遥かに超えるものです。
Kaz Labでは、児童生徒に対する学習指導の申し込みを受け付けています。詳しくこの学習指導のことについてお知りになりたい方は、教育部門のページ(日本の教育の現状と解決法)、教育部門:学習指導部のページ(特別なノウハウの確立と指導形態)、教育部門:教育学科のページ(特別なノウハウ)、研究部門:哲学科のページ(構造主義的類似性の哲学による勉強)をご覧ください。お急ぎの方は、教育部門:学習指導部のページ内、(1)学習指導部の内容(指導料についての記述があります)、(2)教育部門等の要約(「勉強見ます Ver.6(ホームページ用にアレンジ)」、「勉強見ます Ver.3.5(ホームページ用にアレンジ)」)をご覧ください。また、学習指導ご希望の方は、お問い合わせのページからどうぞ。
(2)Kaz Lab 所長 自己紹介
氏名 :阿部 一博
出身大学 :東京理科大学工学部一部経営工学科卒業、東京大学理学部物理学科卒業
学問関係 :中学校、高等学校時代の学校のものとは全く別の勉強、そして、大学入学の
ための受験勉強をする過程において、独自の哲学,「基礎哲学」を生み出す。
この「基礎哲学」は、大学入学以前に確立されているのである。その哲学の
一部を、東京理科大学3年生の時に、講義のレポートとして書いて提出する。
その論文が、全くの予想外に、分野を超えて、学術的に極めて高い評価を得
る。学術界中枢部では、学術的に正式に評価され、「大学者」と言う言われ
方をされている。そして、学術界の各方面に渡り、大きな反響を呼ぶ。東京
大学の学者でも、一生かかっても書けないような論文を、東京理科大学の学
部生の時に書いてしまう。しかし、特に、東京大学出身の学者を中心に、そ
の中には、私の親戚の叔父も含まれるが、私の学識を、東京理科大の偏差値
をもってして、絶対に認めようとしない動きがあった。
通常は、大学院で、論文指導教官の元で論文を作成する。従って、修士、博
士論文には、論文指導教官の考え,学会の常識などの既存勢力の影響が色濃く
反映される。従って、修士、博士論文は、いわば、論文を作成する学生と、論
文指導教官の合作論文と言って良い。しかし、私は、そのような、従来の、い
わば、権威のようなものの保護など何もなく、大学の研究組織とは、まだ、全
く関係を持ってない、学部生の時に,実際には、大学入学前に、日本の学会の
常識など、全く関係なく,自由に、独力で、学術界から極めて高い評価を受け
る論文を書いてしまう。従って、私は、広く学術界に知られる一方、学問的
に、守ってくれる人たち、組織などを全く持たない。
私が、東京理科大学学部3年生の時に書いた論文の内容は、学問全般に共
通する、認識論、方法論に関係する、基礎哲学。後の、「構造主義的類似性
の哲学」の中核部分をなしている。従来の学問の哲学的基礎に対し、根本か
ら、強く批判をし、否定をしている。そして、特別な人でなくてはわからな
いような,特別な、見方、考え方による、C. G. Jungの思想にも通ずるよう
な、新しい哲学を提唱している。従って、日本の従来の一般的な学術研究者
のほとんどは、理解できないと思われる。そのせいもあるかもしれないが、
極めて強烈に、目の敵にされ,妬まれている。現在に至っても、名誉を傷つ
けられたり,プライバシーを侵害されたり、私の学識を盗もうとされてい
る。日本の学術界のかなり多くの関係者は、人権侵害、名誉毀損,プライバ
シーの侵害などの違法行為を平気で行っているのが現状である。私の親戚
の叔父にもいたが、東京大学の教授とか、東京大学出身の学者とか言って,
偉そうな顔をして威張っている学術関係者が多いが、実際の所は、大した論
文も書けず、悶々としている人たちがほとんどである。私のような強烈な例
は他にないに等しいが、私と同様、陰湿ないじめに類するような行為や嫌が
らせに悩まされている学者を私は身近に何人か知っている。その中には、前
述とは別の私の親戚の叔父もいる。それらの学者たちは、い<ずれも、日本の
学術界では、なかなか認めようとされていないが、世界的なレベルで、とても
高い業績を上げている学者である。
日本の学問の多くは、私の考えでは、間違った基礎哲学によって行われて
おり、私の考えには合わない。加えて、過去に、私が、学会に入ろうする
と、巧妙な手段を用いて妨害をされることもあった。また,このように、
強烈に、目の敵にされ、妬まれている場合が多いので、学会などには属さず、
研究活動をしている。
語学関係 :東京理科大学は、学問をする、学問的環境、人的環境が悪く、とても、学問を
する雰囲気ではなかった。従って、私は、偏差値から考えて、東京大学に合格
するのは確実だったので、将来、東京大学に入学して,勉強をし直すことにし
ていた。それなので、東京理科大では、ほどほどに勉強をしていた。従って、
英語もドイツ語も、ほとんど勉強しなかった。ただ、自分で、フランス語の勉
強はしていた。それでも、大学院に進学できる資格のある程度の上位の成績は
残している。
東京大学在学時、語学の授業で、授業中、教科書をあてられて訳す時、私の
訳と、後に、教官が訳す文言が、ほとんど全く同じだったことが何度もある。
そのようなこともあり、東京大学在学中、語学関係の成績が良く、授業を通じ
て、学内で、一目置かれる。東京理科大学在学時にも同じようなことがあった
が、東京理科大学の学生は、学力が低く、加えて、勉強する意欲も低いので、
他の学生の学力を客観的に評価することなどできる能力があるものなど皆無に
等しい。その証拠に、私が、授業の中で、完璧な訳をしても、全く、わらない
し、気がつかない有様である。
その点、東京大学の学生たちは、学力も高く、まじめに勉強しているものも
多いので、授業を通して、私が、語学力に特別に長けていることがわかったよ
うである。その結果、私の、語学に関する勉強法を盗もうと、私の自宅から、
語学関係のノートなどの書類が、すべて、盗難に遭ってなくなっている。この
ように東京大学の関係者からも狙われるほど、語学関係の能力は極めて高く評
価されている。
英語関係 :TOEFL CBT 248点(米英のトップ校の大学院が要求する、留学に必要な英語の
点数は230点)
いじめ、嫌がらせ:上記、「学問関係」に記述したとおり、身の回りの学者の経験、また、自身に
問題等関係 類似の実体験があることから、これらの問題の本質については、当然,「構造
主義的類似性の哲学」を用いて、極めて深い、分析、そして、理解をしている。
従来の、いわゆる専門家、教育、政府の関係者などは、いじめ、嫌がらせの
問題について、まず、第一に考えなければならない、「いじめ、嫌がらせ」が
どういうことか、と言うことに対して、何もわかっていない。物事をする際、
前提となる、事の本質の認識からはじめなければならない。しかし、この「い
じめ、嫌がらせ問題」については、この「認識が誤っている」と言うことがで
きれば、まだ、救いはあるのだが、それどころか、従来の、いわゆる専門家、
教育、政府の関係者などは、いじめや嫌がらせの問題について、前提となる、
事の本質の、分析、理解を、全くしていないに等しい。これでは、これら関係
者たちの、やることなすこと、すべて、論外になるのは当然である。従って、
これらの関係者では、いじめや嫌がらせの問題は、全く解決できできないのは
明らかである。その証拠に、政府等が、いじめや嫌がらせの対策を取り始めて
から、ずいぶんと長いこと経つが、いじめや嫌がらせ、これらが原因と思われ
る、自殺が減ったという報告は全くない。
「いじめ、嫌がらせ問題」に対しても、「構造主義的類似性の哲学」は,極
めて有効である。なるべく早い時期に、当ホームページ、「教育部門内、教育
学科」でも論じていきたいと思っている。いじめや嫌がらせで悩んでいる人が
いたら、相談に乗ります。相談をされたい方は、お問い合わせのぺージから申
し込んでください。